帯広合唱連盟顧問・前理事長

        加藤靜一先生を偲んで

 

       Profile   

 

194111月上湧別に生まれる。

北海道教育大学札幌分校特設音楽課程ピアノ科を卒業。

1967年より帯広三条高校で合唱部の指導に当たり、‘85年以来全日本合唱コンクール全国大会に5回出場した。

また、‘73年には現役とOBOGによる三条混声合唱団を組織し、20年に及び演奏会を実施。‘81年にOGを中心として女声合唱団ヴォワフルールを創立し合唱コンクール全国大会に3回出場。89年帯広市民文化ホールこけら落とし公演、「天地創造」の合唱指揮、92年帯広開基110年記念公演交響詩「十勝」、「メサイア」の合唱指揮、97年には初の市民オペラ「カルメン」でも合唱指導を行う。

1975年より帯広合唱連盟副理事長。2000年より2012年帯広合唱連盟理事長。2009年全日本合唱連盟「おかあさんカンタートin帯広」、2010年帯広合唱連盟創立50周年記念公演「カルミナ・ブラーナ」、201150周年記念合唱祭・記念式典・祝賀会を成功させる。2012年帯広市開拓130年・市制施行80年主催事業交響詩「十勝」の合唱指揮者。
1993年に帯広市文化奨励賞、2009年には十勝文化賞受賞。
2012年全日本合唱連盟より表彰を受ける。(201468日永眠)

 

 

   加藤靜一先生の思い出

            帯広合唱連盟理事長 沖田 道子 

 

 加藤先生の事を書かせていただくのは、三条高校を退職なさった時、理事長を退任された時と今回で三度目となります。

合唱祭というと思い浮かぶのは、プログラムの作成の事です。毎年加藤先生のお力が欠かすことは出来ませんでした。副理事長時代からずっと携わっていらしたと伺っており、理事長を退任なさってからも最終稿は加藤先生に確認していただいておりました。加藤先生はことの他、後々残るプログラムを大事にされ、他の演奏会のプログラムも、何年も前のを大切に保存され、何かの時には折々に見せていただいておりました。字が間違っていないか、各合唱団が提出した演奏曲目や作詩者、作曲者が正確であるか、今はA4版が主流ですがB5版で持ちやすいように、字が見やすい紙の色かなどなど・・・今年は体調が悪いと伺っていて、校正をお願いしませんでしたが、又来年と思っておりました。加藤先生が校正しなかった第55回合唱祭のプログラム。

「先生、これでいいですか?」

 

  加藤先生を悼む

         北海道少年少女合唱連盟顧問

                   帯広アドニス少年少女合唱団指揮者 岩井 照清 

 

 多分に活動の余地を残したままの加藤先生の急逝、さぞ無念の極みだったと拝察します。心からご冥福をお祈りします。

 加藤先生の三条高校着任は昭和42年。それまでの三条合唱部は大森清先生の指導のもと、全国レベルに実力が高まっていた。昭和41年頃、道代表として全日本のコンクールに、岡山市まで遠征していたレベルだった。(現札幌市長上田文雄氏も合唱部員として参加していた。)

 当時Nコンで小学校は光南(岩井)、中学校は一中(田沢・笠原・足立)が道代表をかけて闘っていた。しかもNHK帯広放送会館が建築中で、録音は旧大谷高校音楽室という他地区に比べ、大変不利な条件だった。着任早々の加藤先生は我々小・中と一緒に、異常な熱心さでNHKの録音状況を研究、対策を講じていた。多くの葛藤を抱えながら、困難を乗り越えられたのだった。

 そして全道の常勝合唱団として、全国にその名を知らしめる活動をされ、現在の三条高校合唱部に実力と栄光をバトンタッチされた。

 ヴォワフルールは、その延長線上のハイレベルな女声合唱団でもある。

 加藤先生のそのほかの大活躍は、我々の記憶にも新しいところである。

 今一度、心からご冥福をお祈りしたい。 

 

  加藤先生を偲んで

            ヴォワフルール代表  高橋 亜香 

 

 あまり深く考えぬまま、三条高校合唱部に入った私が、今こうして大人になっても合唱と関わっているのは加藤靜一先生のお陰です。

 高校生の頃はもちろん先生も若く、とても厳しい指導でした。私が在籍していた頃は、部員も60名を越える大所帯で、今思うと曲選びや曲作りにもご苦労されたんだろうなあと思います。

 ヴォワフルールに入ってから、先生との打合せなどで折に触れ、昔の話やこれからの話をしましたが、いつも変わらないのは音楽への飽くなき探求心でした。その上、指揮者や団長という、人をまとめていく事の大切さや心構えを教えて頂きました。

 昨年、先生と今後の演奏活動について話していたので、今日この場で一緒に歌えないことが悔しく悲しいのですが、いつも目指していた“美しく透明なハーモニー作り”を団員の心に刻み、先生との思い出の曲を皆様にお聴き頂ければ幸です。